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されど英語、たかが英語
樹さんの最新ブログを読んで、やけに納得、同感する。
タイトルは「小学生に英語を必修させる必要があるのか?」

週末の読売新聞で、英語科目が小学校から必修となるという記事を読んだ。
“教師に研修を受けさせる一方、英語を母語とする外国人の指導助手を使ったり、英語に堪能な地域の人材の協力を得たりする”方針だそうだ。
つまり、しゃべるための英語教育を早めに始めようということ。

現場では、教師の負担が重くなるなど、対応が必要らしい。
ゆとり教育の失敗、英語の小学校5年生からの必修化。
なんてこった。
学校の先生は振り回されっぱなしでゆとりなんてありゃしない。

以下、樹さんのブログの一部を抜粋:

ともあれ、外国語運用能力をあまり重視することに私はひさしく外国語で飯を食ってきた人間(ほんとに食っていたのよ)の一人として懐疑的である。
外国語なんて大きくなってからで十分である。
子どものときはそれよりも浴びるように本を読んで、音楽を聴いて、身体を動かして、お絵かきをして、自然の中を走り回り、家のかたづけやら皿洗いやら廊下の雑巾がけなどをすることの方がはるかにはるかにたいせつである。
外国語は「私がそのような考え方や感じ方があることを想像だにできなかった人」に出会うための特権的な回路である。
それは「私が今住んでいるこの社会の価値観や美意識やイデオロギーや信教」から逃れ出る数少ない道筋の一つである。


そのとおりと膝を打つ。

mochiも、前職では日本語を、現職では外国語を使用して、ご飯を食べさせてもらっているハシクレだが、
外国語はやればやるほど母国語の力量が試されることを思い知る。
いや、それ以上に、離れたものをリンクさせる能力だったり、音楽みたいなリズムであったり、外からの情報を咀嚼する能力、置き換える能力、まさに、外国語力以外のモノが外国語力以上に必要だと身につまされる。
それって、哀しいかな一朝一夕では到底身につかないもの。トホホ。。。

小学生に英語を必修させて、いったい文科省は、この国のお偉いさんたちは何をしたいというのかしら。

ネイティブと会話できる会話力はツールとして便利だけれど、そればかり重視してると、それ以外のモノが欠如したただの外国語もとりあえずしゃべれる状態になるだけ。

英語力=人間的能力では絶対にない。

mochi的結論:
英語をネイティブ同等の発音でしゃべれるだけの人より、
お魚の一つ一つについて特大の愛情をもってそれを伝えてくれるお魚クンのほうが100倍魅力的です。



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【2008/02/18 20:39】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
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コメント
モッチャンに一票!
ワタシも同感です☆
【2008/02/20 06:44】 URL | アキ #-[ 編集] | page top↑
魚クンは本当に素敵ネ。
全くしゃべれない私にとっては、外国語を駆使して「想像もできないような考え方、感じ方をする人」たちと語り合えたりすることはトテツモナク羨ましいのだけど、私にはそれを感じて伝えてくれるmochiやアキちゃんがいるから、いっか!って思える。学校では、いっぱいそんな友達をつくってほしいわv-82
【2008/02/21 23:48】 URL | keiko #5hiobRrU[ 編集] | page top↑
コメントありがとう!
コメントって嬉しいです!
【2008/02/26 23:38】 URL | mochi #-[ 編集] | page top↑
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